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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)9550号 判決

甲乙事件原告

宮西磐

甲事件被告

安田火災海上保険株式会社

乙事件被告

中根眞由美

ほか一名

主文

一  甲事件被告は甲乙事件原告に対し、金二一七万円及びこれに対する平成二年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件被告らは連帯して甲乙事件原告に対し、金三四一万六二〇九円及びこれに対する昭和六三年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  甲乙事件原告の甲乙事件被告らに対するその余の各請求を棄却する。

四  訴訟費用のうち、甲事件については、これを四分し、その三を甲事件原告の負担とし、その余を甲事件被告の負担とし、乙事件については、これを五分し、その四を乙事件原告の負担とし、その余を乙事件被告らの負担とする。

五  この判決は第一、二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件

甲事件被告(以下、単に「被告安田火災」という。)は甲乙事件原告(以下、単に「原告」という。)に対し、金九四九万円及びこれに対する平成二年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件

乙事件被告らは連帯して原告に対し、金一七二一万六九六九円及びこれに対する昭和六三年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、

1  原告が原動機付自転車を運転中、普通貨物自動車が道路脇の駐車場から出てきたため、急ブレーキをかけたところ、転倒して右普通貨物自動車に衝突し、原告が負傷した事故について、右普通貨物自動車に関して締結されていた自賠責保険契約に基づき、原告が、右事故による後遺障害があるとして、右保険会社である被告安田火災に対し、後遺障害保険金の支払を請求した(甲事件)。

2  前記1事故の八カ月余りの後、原告が自転車で交差点の横断歩道上を進行中、同交差点を右折してきた乙事件被告中根繁雄(以下、「単に「被告繁雄」という。)が保有し、乙事件被告中根眞由美(以下、単に「被告眞由美」という。)が運転する普通貨物自動車(以下「被告車」という。)と衝突し、これによつて原告が負傷したとして、原告が、被告眞由美に対して民法七〇九条に基づき、被告繁雄に対して自賠法三条に基づきそれぞれ損害賠償を請求した(乙事件)。

二  争いのない事実等

1  甲事件

(一) 交通事故(以下「第一事故」という。)の発生

日時 昭和六三年三月一七日午後一時五五分ころ

場所 大阪府守口市河原町七番地先市道上

態様 原告が原動機付自転車を運転中、徳永雄二の運転する普通貨物自動車が道路脇の駐車場から出てきたため、原告が急ブレーキをかけたところ、転倒して右普通貨物自動車に衝突した。

(二) 原告の受傷

原告は、第一事故により、顔面打撲、右上眼瞼挫創、外傷性頸部症候群、左肘打撲挫創、両膝打撲挫創、右足打撲挫創、頸椎捻挫、腰椎捻挫、左膝蓋骨骨折、左肩関節周囲炎などの傷害を受けた。

(三) 自賠責保険契約

徳永の勤務先である株式会社富士銀行は、右普通貨物自動車を保有し、運行の用に供していたもので、被告安田火災との間で自賠責保険契約を締結していた。

(四) 原告は、被告安田火災に対して、第一事故に関する後遺障害の保険金を請求したところ、被告安田火災は、平成二年一一月二六日付書面で、後遺障害が存在しないとの判断を示し、保険金が支払われなかつた(以上につき甲事件当事者間に争いがない。)。

2  乙事件

(一) 交通事故(以下「第二事故」という。)の発生

日時 昭和六三年一一月三〇日午後一〇時三五分ころ

場所 大阪府門真市殿島町二番六号先交差点

態様 原告が自転車で交差点の横断歩道上を走行中、同交差点を右折してきた被告眞由美が運転する被告車と衝突した。

(二) 被告繁雄は、本件事故当時、被告車を保有していた(以上につき乙事件当事者間に争いがない。)。

(三) 損害の填補

原告は、第二事故に関し、自賠責保険から合計六三万七一四九円(治療費二四万七四九円を含む。)の支払を受けた(丙四、弁論の全趣旨)。

三  争点

1  第一事故における自賠責保険の後遺障害保険金の算定に関し、原告の後遺障害等級は何級に該当するか(原告は、第一事故により、左腕が腕として機能しない状態になつているとして、自賠法施行令二条別表の七級四号に該当する後遺障害が残存したと主張するのに対し、被告安田火災は、第一事故による原告の後遺障害は一二級一二号に該当すると主張する。)。

2  第二事故の事故状況(原告は、対面する歩行者用信号機が青点滅で横断歩道を走行しており、被告眞由美は、横断歩道を全く注意していなかつたことから本件事故が発生したもので、原告には何らの過失がないと主張する。これに対して、乙事件被告らは、被告眞由美が対面信号の右折青矢印に従つて本件交差点を右折したところ、赤信号を無視して横断歩道を自転車で走行してきた原告と衝突したもので、被告眞由美には民法七〇九条の過失がなく、また、被告車には構造上の欠陥又は機能の障害もなかつたから、被告繁雄は自賠法三条但書により免責されると主張する。)

3  第二事故による原告の損害額(入院雑費、休業損害、逸失利益、入通院慰謝料、後遺障害慰謝料)(原告は、第二事故当時、少なくとも昭和六三年賃金センサス男子労働者学歴計五〇歳から五四歳の平均年収程度の収入を得ることができたが、第一、第二事故の結果、就労可能な六七歳まで五六パーセントの労働能力を喪失し、第二事故は、これに四〇パーセント寄与しているとして、一五五八万円余りの逸失利益を主張する。これに対して乙事件被告らは、第二事故によつて原告が受傷したことには疑問があり、仮に受傷したとしても数日間程度の治療で充分な擦過傷程度のもので、入院治療の必要性はなく、休業損害も発生しておらず、また、第二事故によつて後遺障害が増悪したことは一切ないと主張する。)

第三争点に対する判断

一  証拠(甲一ないし一一、一三、一四の1、2、一六ないし一八、一九の1ないし5、二〇ないし二六、丙一ないし三、証人斉藤哲治、原告、被告眞由美各本人)によれば、以下の事実が認められ、原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は採用できない。

1  第一事故から第二事故前までの原告の症状等

原告は、第一事故により、前記争いのない傷病名で、第一事故当日から昭和六三年四月一八日までの間、福徳医学会病院に通院(実日数二一日)して治療を受けた。その後、原告は、昭和六三年四月二〇日に鶴見緑地病院に転院し、右同日から同年六月一〇日まで通院(実日数二三日)して治療を受けた。右通院中、原告は、左肩、左胸、左上腕の筋萎縮と左前腕、左手のしびれ感、頭痛、頭部痛、左膝の痛み、運動時の違和感を訴えていた。そして、原告は、同年六月一一日から同年九月一八日まで右病院に入院して、注射、投薬、理学療法等による治療を受けた。右入院中の同年七月五日、右病院の医師は、前記筋萎縮の状態を調べるため、筋肉の太さを測定したところ、上腕周径が、左二二センチメートル、右二四センチメートル、前腕周径が、左二三センチメートル、右二五センチメートルで、左腕にかなりの筋萎縮があり、また、握力は、左二二キログラム、右三七・五キログラムであつた。そして、右病院では、同年七月一三日に頸部のCT検査を行つたが、とくに変化は認められず、右病院の医師は、第五、六頸椎付近の神経根の瞬間的な圧迫が原因かも知れないと考え、大阪厚生年金病院で、筋電図による精密検査が行われた。その結果、左の三角筋、棘下筋に反応の著明な遅延が認められ、左の上腕二頭腕筋、上腕三頭腕筋にも軽度の反応の遅延が認められたことから、大阪厚生年金病院の医師は、第五頸椎の神経根の麻痺よりも、上腕神経叢の部分損傷が筋萎縮の原因であると判断するとともに、筋力は、今後、筋力訓練を強力に行えば回復するとの見解を示した。その後、鶴見緑地病院の医師は、原告の第一事故による傷害が、同年一〇月四日に症状固定したとの後遺障害診断書を作成した。右症状固定日と診断された当時、原告は、左頭部のしびれ感、頭重感、左腕の脱力感、左膝の痛み、左手先のふるえ、しびれ感を訴えており、上腕周径は、左二二・五センチメートルで、右二四センチメートルであり、肩関節の可動域は、他動が左右とも同一で、自動は、前方挙上が右一八〇度に対して左一七〇度、後方挙上が右五〇度に対して左四〇度、側方挙上が右一八〇度に対して左一六〇度であり、また、原告は右効きで、握力は、左二三キログラム、右三七キログラムであつた。

2  第二事故の状況

本件事故現場は、別紙図面記載のとおりのT字型交差点であり、照明のため、夜間でも明るい場所である。本件交差点の西行車線の対面信号は、青、赤、黄の三色と右折青矢印となつている。本件事故当時、被告眞由美は、被告車を運転して本件交差点を東から北へ右折するため、対面信号(東向信号)が青信号で本件交差点内に進入したが、対向直進してくる車両があつたため、〈1〉地点で停止した。その後、被告眞由美は、対面信号が右折青矢印に変わるのを見た直後に、〈1〉地点から急発進することなく普通に発進した。右発進の際、被告眞由美は、本件交差点北詰の横断歩道(以下、「本件横断歩道」という。)の西端にある歩行者用信号機が赤信号を表示しており、その信号機のすぐ西側に歩行者が立つているのを認めたが、右歩行者用信号機が赤信号を表示していたことから、本件横断歩道を東から西に向かつて横断してくる者はないと考え、本件横断歩道の東側(進路右前方)を確認しないままで、〈1〉地点から〈2〉地点まで約九・六メートル進行したところ、被告車の助手席に同乗していた友人が、被告眞由美に対して危険を知らせる声をかけたことから、被告眞由美は、被告車の進路右前方約六メートルの〈ア〉地点の本件横断歩道上を原告が自転車で西進しているのに気付き、急ブレーキをかけたが間に合わず、〈ア〉地点から〈イ〉地点まで約四・六メートル西進した原告の自転車の前部と、〈2〉地点から〈3〉地点まで約五・九メートル進行した被告車の右前角とが衝突した。右衝突の結果、原告は、右衝突地点から北へ約二メートルの地点に転倒し、被告車は、右衝突地点から約一メートル進行して停止し、また、原告の自転車は、前かごが凹損し、被告車は、前部右側バンパーに擦過痕が生じた。本件横断歩道の東端から右衝突地点までの間は約一五メートルである(なお、第二事故直前の被告車の走行状況について、被告眞由美が〈1〉地点で一旦停止後、青矢印信号に変わつて右折を開始し、その際、本件横断歩道の西端にある歩行者用信号機の赤信号の表示と、そのすぐそばに立つている歩行者の方向だけを見ながら進行し、危険を知らせる同乗者の声で原告の自転車に初めて気付いて急ブレーキをかけた、との被告眞由美本人尋問の結果における供述内容は、極めて具体的で自然であり、第二事故の直後に被告眞由美の立会の下で作成された丙第一号証の実況見分調書の記載内容とも矛盾がないことからすると、被告眞由美本人尋問の結果及び右実況見分調書の記載内容には信用性があると解される。そうすると、被告眞由美は、別紙図面の〈1〉地点で右折青矢印信号になるとほぼ同時に再発進し、〈1〉地点から〈3〉地点まで約一五・五メートル進行しているのであるが、その間、被告車は、急発進することなく通常の速度で右折していることから、被告車は右区間を時速一〇ないし一五キロメートル程度の速度で走行したと解され、そうすると、被告車が再発進してから原告の自転車と衝突するまでの間に、被告車が時速一〇キロメートルで進行していれば、五・六秒程度が経過し、時速一五キロメートルで進行していれば、三・七秒程度が経過していることになる。そして、被告眞由美が〈2〉地点から〈3〉地点まで約五・九メートル進む間に、原告の自転車は、〈ア〉地点から〈イ〉地点まで約四・六メートル進行していることから、本件事故当時、被告車が時速一〇キロメートルで走行していれば、原告の自転車は時速七・八キロメートル程度の速度で走行しており、被告車が時速一五キロメートルで走行していれば、原告の自転車は時速一一・七キロメートル程度の速度で走行していたと解される。そうすると、原告の自転車が、本件横断歩道の東端から本件衝突地点までの約一五メートルの区間を走行するのに要する時間は、被告車の速度が時速一〇キロメートルであることを前提とすれば六・九秒程度であり、被告車の速度が時速一五キロメートルであることを前提とすれば四・六秒程度であることになる。以上を前提とすると、原告の自転車が本件横断歩道上に進入を開始した時点は、被告眞由美が右折青矢印で右折を開始する時点を基準にして、被告車が時速一〇キロメートルの場合は、前記六・九秒から前記五・六秒を差し引いた一・三秒前であり、被告車が時速一五キロメートルの場合は、前記四・六秒から前記三・七秒を差し引いた〇・九秒前であつたことになる。ところで、本件交差点の信号関係については、本件横断歩道の歩行者用信号機が青点滅から赤信号に変わつた時点以後も、同方向の車両用信号機の青信号が続き、その後、黄色を経て、赤信号が表示されると同時に右折青信号が表示されると推認され、本件横断歩道の歩行者用信号機が赤信号に変わつた時点と、同方向の車両用信号機が右折青矢印の表示を開始する時点との間には、三秒間以上の間隔があつたと解される。そうすると、原告は、本件横断歩道の歩行者用信号が青点滅から赤信号に変わつてから間もなく、本件横断歩道に進入し、横断を開始したと解するのが相当である。したがつて、本件横断歩道の歩行者用信号が青点滅の時点で横断を開始したとの原告の主張及び原告本人尋問の結果中の右主張に添う供述部分は採用できない。)。

3  第二事故後の原告の症状

原告は、第二事故の当日、鶴見緑地病院で治療を受けた。右初診時において、原告は、左肩、左膝を打撲したと訴えており、左腕の側方挙上は三分の一以下に制限されていた。その後、原告は、第二事故の翌日である昭和六三年一二月一日から平成元年一月三一日まで、右病院に入院し、右退院後、同年二月二三日まで右病院に通院(実日数九日)して治療を受けた。そして、右病院の医師は、原告の傷害が平成元年二月二三日に症状固定したとの後遺障害診断書を作成した。右診断書に記載された原告の傷病名は、頸部捻挫、両肩打撲、脳震盪、腰部捻挫、両膝擦過打撲傷、硬膜下水腫であり、右症状固定日と診断された当時、原告には、頭部鈍重感、左側頭部痛、頸部緊張感、両肩とくに左肩甲部の牽引痛、筋肉萎縮、左手先のふるえ、しびれ感の自覚症状があり、上腕周径は左二二・五センチメートル、右二四センチメートルであつたが、肩関節の可動域、握力は、第一事故に関し手作成された前記後遺障害診断書の数値と同一であつた。その後、原告は、身体障害者福祉法の適用を受けるため、平成二年七月一二日に右病院の医師の診察を受けた。その際の測定結果では、上腕周径が左二二・五センチメートル、右二四・五センチメートル、前腕周径が左一九センチメートル、右二一センチメートルで、握力が左一三キログラム、右三七キログラムであり、右医師は、左上肢はとくに左肩関節周囲及び左上腕部の筋萎縮が著明であり、左肩関節部の運動はほとんど不能で、左肘、左手関節、左手指の運動はある程度可能であるが、運動速度が遅く、右との協調性がないとの所見を示した。右医師は、第二事故後の右病院におけるカルテの記載と、平成二年七月一二日の診察結果に基づいて、原告は、第二事故によつて左肩を打撲して症状が悪化し、これに、筋肉を動かさないことによつて生じる筋萎縮(廃用性萎縮)が重なつた結果、症状が悪化したと考えている。

二  第一事故における原告の後遺障害について

前記一1(第一事故から第二事故前までの原告の症状等)で認定したところによれば、原告は、第一事故により、症状固定日と解する昭和六三年一〇月四日当時、上腕神経叢の部分損傷を原因とする左腕の筋萎縮と、前記後遺障害診断書に記載された左肩関節の可動域制限が存在し、また、左手先のふるえ、しびれ感等の自覚症状があつたが、左肩関節の可動域制限はそれほど重大なものではなく、握力もとくに低下していたとは解されないほか、原告は、第一事故当時、息子と二人で寿司と仕出し弁当屋を営んでいたが、第一事故後、以前よりは作業能率は劣るものの、左腕で寿司を握れるようになつていた(原告本人)ことからすると、原告の第一事故による後遺障害の程度は、自賠法施行令別表の一二級一二号に該当すると解すべきであり、七級四号に該当するとの原告の主張は採用できない。そうすると、原告の自賠責保険の後遺障害保険金に関する請求は、後遺障害等級一二級の保険金である二一七万円の限度で理由がある。

三  第二事故の事故状況について

前記一2(第二事故の状況)で認定したところによれば、原告が本件横断歩道上で横断を開始した当時、原告の対面する歩行者用信号が赤信号ではあつたものの、被告眞由美は、自己の対面信号が右折青矢印を表示した直後に発進していることから、歩行者用信号機の表示が変わる前後に本件横断歩道上を横断してくる自転車のあることを十分予想できたはずであるにもかかわらず、進路左前方を見ただけで、右前方に対する注視を怠つて右折したために本件事故を発生させたもので、被告眞由美には、民法七〇九条の過失があるといわなければならない。そうすると、被告眞由美の無過失、被告繁雄の自賠法三条但書の免責に関する主張は理由がない。

ところで、右に認定した本件事故状況によれば、原告は、対面する歩行者用信号が青点滅から赤信号に変わつて間もなく、本件横断歩道に進入して横断を開始したもので、原告の過失は重大であるが、他方、被告眞由美にも、前記判示の過失があることを考慮すると、原告の後記四の損害額から七〇パーセントを減額するのが相当である。

四  第二事故による原告の損害

1  入院雑費 八万六〇〇円(請求同額)

前記一2(第二事故の状況)で認定したところによれば、第二事故の結果、原告は、衝突地点から約二メートル離れた地点に転倒し、原告の自転車の前かごが凹損していることから、第二事故によつて原告の身体にある程度の衝撃が加わつたことは明らかであるうえ、本件事故当日における原告の左腕の可動域制限の程度、第二事故による症状固定日当時における原告の傷病名及び症状からすると、検査及び経過観察を主な目的とする前記六二日間の入院は、その必要性があつたと解される。そうすると、本件事故と相当因果関係のある入院雑費は、八万六〇〇円(一日当たり一三〇〇円の六二日分)となる。

2  休業損害 九〇万二五二〇円(請求九五万六三九円)

原告は、昭和九年九月九日生まれ(第二事故当時五四歳)で、昭和五八年ころから、息子と二人で寿司屋を経営し、仕出し弁当の仕事もしていた。原告は、第一事故後、息子に仕事を任せていたが、味が良くないとの理由で、第二事故の発生までには、従来の仕出しの弁当の納入先から取引を断られた。第二事故当時、寿司屋の営業は継続し、原告は、寿司を握つていたが、一人前(八個)握ると休息する状態で、第一事故以前よりは握れなくなつていた(甲一、二五、原告本人)。

右に認定した原告の就労状況に、前記二で判示した第一事故による後遺障害の程度を併せ考慮すれば、原告は、本件事故当時、昭和六三年賃金センサス男子労働者学歴計五〇歳から五四歳の平均年収五七一万九四〇〇円の八〇パーセントに相当する四五七万五五二〇円(三六五日で割つた一日当たりの金額は一万二五三五円。円未満切り捨て、以下同じ。)の収入を得る高度の蓋然性があつたと解されるが、右金額を越える収入を得る可能性があつたことを認めるに足りる証拠はない。そうすると、本件事故と相当因果関係のある休業損害は、九〇万二五二〇円(前記入院日数六二日と第二事故による実通院日数一〇日を合計した七二日に一日当たり一万二五三五円を適用)となる。

3  逸失利益 八九八万七三二七円(請求一二五八万二一三〇円)

前記一3(第二事故後の原告の症状)で認定したところによれば、原告は、第二事故直後、左腕にかなりの程度の可動域制限が生じたが、その後、第二事故の症状固定日と診断された平成元年二月二三日当時には、第一事故の症状固定日当時とほぼ同程度の症状、可動域制限にまで回復したものの、第二事故の症状固定日から約一年四カ月後の平成二年七月一二日当時の診察結果では、筋肉を動かさないことによつて生じた廃用性萎縮のため、左肩関節部の運動がほとんど不能で、左肘、左手関節、左手指の運動速度が遅く、右との協調性がない状態になつていたもので、この廃用性萎縮には、第二事故による左肩打撲がある程度関与していたと解されることからすると、第二事故と相当因果関係のある原告の労働能力喪失率は二〇パーセントであると解すべきであり、右二〇パーセントの労働能力を第二事故の症状固定日(五四歳)から六七歳までの一三年間(中間利息の控除として新ホフマン係数九・八二一一)にわたつて喪失した範囲内で逸失利益を肯定すべきである。そうすると、第二事故と相当因果関係のある逸失利益は、八九八万七三二七円(前記年収四五七万五五二〇円に前記新ホフマン係数と労働能力喪失率を適用)となる。

4  入通院慰謝料 六〇万円(請求一〇〇万円)

前記一3(第二事故後の原告の症状)で認定した第二事故後の原告の症状、治療経過に、第二事故の状況、その他一切の事情を考慮すれば、第二事故と相当因果関係のある入通院慰謝料としては、六〇万円が相当である。

5  後遺障害慰謝料 二七〇万円(請求三〇〇万円)

前記一3(第二事故後の原告の症状)で認定した原告の第二事故による症状固定日当時の症状とそれ以降の症状に、前記四3(逸失利益)の判示内容、その他一切の事情を考慮すれば、第二事故と相当因果関係のある後遺障害慰謝料としては、二七〇万円が相当である。

五  以上によれば、原告の被告安田火災に対する請求は二一七万円と同被告に対する本件訴状送達の翌日である平成二年一二月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、乙事件被告らに対する請求は三四一万六二〇九円(前記四1ないし5の損害合計額一三二七万四四七円に前記第二の二2(三)の損害填補額のうち治療費分二四万七四九円を加えた一三五一万一一九六円に前記三の過失割合を適用後の四〇五万三三五八円から前記第二の二2(三)の損害填補額六三万七一四九円を控除したもの)とこれに対する第二事故発生の日である昭和六三年一一月三〇日から支払ずみまで右遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 安原清蔵)

別紙 〈省略〉

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